淑容
魏晋南北朝時代の後宮制度3(南朝宋)
南朝の諸王朝(宋・斉・梁・陳)は、原則として晋の後宮制度を基本としていました。東晋を倒して成立した宋も例外ではありません。
宋の創始者劉裕(武帝、在位420年-422年)は出自のはっきりしない下級官吏の息子で、草鞋売りをして生計を立てていた経歴さえありました。家柄重視のこの時代において、極めて低い出自を有する彼がのし上がることができたのは、東晋末期の戦乱の中で軍人として出世したからです。彼には臧愛親(408年没)という糟糠の妻がいましたが夫の即位前に死に、その後は再婚していません。彼の後継者となった少帝劉義符は夫人張闕の、文帝劉義隆はショウヨ胡道安の、それぞれ側室たちの産んだ庶子たちでした。
宋の後宮制度は多少の変遷はありましたが、最終的には以下の序列になっています。序列は三夫人→九嬪→五職で、散号とは位階がない妃嬪を指す言葉のようです。
三夫人:貴妃 貴嬪 貴姫
九嬪:淑媛 淑儀 淑容 昭華 昭儀 昭容 修華 修儀 修容
五職:ショウヨ 容華 充華 承徽 列榮
散号:美人 中才人 才人 良人 充衣 etc
ではここで、宋の歴代皇帝をその母とともに記載してみます。
・少帝劉義符(在位422-424年)母は武帝の夫人張闕 *夫人:皇后に次ぐ高位の妃嬪で、後に貴妃と改称される。
・文帝劉義隆(在位424-453年)母は武帝のショウヨ胡道安
・劉劭(在位453)母は文帝の皇后袁斉ギ
・孝武帝劉駿(在位453年-464年)母は文帝の淑媛路恵男
・前廃帝劉子業(在位464-465年)母は孝武帝の皇后王憲ゲン
・明帝劉?(在位465-472年)母は文帝の美人沈容姫
・後廃帝劉?(在位472-477年)母は明帝の貴妃陳妙登
・順帝劉準(在位477-479年)母は明帝の昭華陳法容
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